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明智光秀は、天正10年(1582)6月2日、織田信長を本能寺に襲撃した本能寺の変で有名です。
その後、6月13日、山崎合戦で秀吉軍に破れ、近江の坂本城に逃れる途中に小栗栖付近で襲われたと言われています。明治維新後にこの地に移されました。
餅寅に伝わる「惟任将軍光秀御墳墓略記」(版木)によれば「光秀は小栗栖で傷を負って自殺し、首をこの地に腹心が葬った」と誌してあります。
祠の入口に「明智光秀墳」とした碑があり弘化ニ巳年とあることから光秀の死後約250年を経てたてられたものとみえます。祠の原型はこの当時にできたものと思われます。
光秀を渇仰する人の増加により、参拝者の数も年々増加しております。
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